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第、866話 『私』 (2016.02.06)

学校に行けない。

身体が不調を訴えてくる。

クラスの友達に嘘を吐かれた。

それは些細な嘘だったと分かっている。

でもそれ以後友達が怖い。

元々が学校も人間も苦手だったんだ。

今はただ人の目が怖くてどうにもならない。

家に閉じこもっている。

自分の部屋に閉じこもっている。

私は幼い頃に良く読んでいた少女漫画の単行本を本棚から引っ張り出した。

明るい主人公の少女(当時は私よりおねえさん)『エミリン』が大好きだった。

その漫画の単行本第一巻はこのように始まる。

(春は桜の花びらが舞い、夏にはセミが大合唱。

秋は鈴虫に癒やされて、冬は雪だるまが夜な夜な歩く。

そして一年中明るい女の子が、この物語の主人公、エミリン)

私はずっとエミリンになりたかった。

明るい主人公の少女、エミリンになりたかった。

何時しか、エミリンは少女漫画の単行本から抜けだし、

私が生息する世界にひょっこり顔を出すようになった。

「あたしの名前はエミリンよ。こんにちは皆さん」

「ねえねえ、こんな楽しいことがあったのよ、聞いて!」

「素敵な雑貨屋を見付けたの!今度一緒に行きましょ」

『エミリン』を名乗る女の子は既にみんなの人気者だ。

私とは大違い。『太陽』と『土壌動物』の差はある。

携帯に届くメールは『エミリン』宛てばかり。

「ねえ、エミリン、我が家のカレーパーティーにおいで」

「エミリン、近所に新しくできた猫カフェに連れてってあげるよ」

「エミリン、深夜に雪だるまが歩いている動画を一緒に観よう」

そんなある日、放課後、エミリンは、不意に肩を捕まれ数回揺さぶられた。

以前私に些細な嘘を吐いた、それまでは仲は良かった、友達だった女の子だ。

「絵深(えみ)、お願い聞いて!あなたは『エミリン』じゃないよ!『絵深』だよ。

ずっと仲直りしたかったの。『絵深』にだよ。『エミリン』にではないよ」

『私』はぽかんとその友達を暫くはただ見ていた。

でもその友達に強く抱きしめられた時、こぼれ落ちる涙を止めることは不可能だった。

「私、たぶん気付いてたんだ。『エミリン』は『私』だってこと。

だって、『エミリン』でなければ学校に来られなかったんだ。町を歩けなかったんだ」

放課後、その友達は時間の許す限り私のことを強く抱きしめ続けてくれた。

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翌日から私、絵深は、『絵深』として学校に通うようになった。

以前からの『絵深』の友達も、『エミリン』から仲良くなった友達も、

私が笑うと誰もが嬉しそうに笑顔を返してくれた。

私はそんなみんなを信用してみたいと思う。

そして『エミリン』を名乗り、『私』を家から外に連れ出してくれた、

深層心理に潜んでいたもう一人の『私』の明るさに近付ける場所へ、

焦らずとも前を向いて一歩一歩確実に歩いていきたい。

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